時には下を見ることも大切である

われわれは常に上を見ることを強いられている。

 

スポーツでは頂点を目指すし、勉強ではクラスで一番を取ることを目指し頑張る。はたまた実社会では、自身の昇格を狙って日々同僚たちと切磋琢磨している。

 

そう、われわれは常に他者と競争をして生きている。ある者は成功を収める一方、ある者は落ちぶれていく。

 

成功した者は、その調子で困難なく生きていくかもしれないが、そんな人間は一握り。大半は、失敗を繰り返しながらも頑張らなくてはならない。

 

諦める、というのも選択肢の一つとしてある。

 

例えば、野球なんかでは高校レベルで大した結果がでなければ野球の道を諦めてもいい。他の道は、いかようにも広がっている。

 

例えば、一流大学への入学を目指していたものの受験に失敗した場合。他の大学に進む道もあれば、就職するという道もある。それとも別の道に進むこともできる。

 

しかし。

 

諦める、ということが簡単には出来ないケースも人生には多々ある。

 

価値観は人それぞれ。野球の例でも、受験の例でも、その道を諦められると言ったものの、諦められない人がいるのも事実。

 

ただし、その際は人一倍頑張らなくてはならないし、しんどい思いもするだろう。

 

また、こうした積極的なケースだけではなく、例えば、子供が二人いる女性が不慮の事故で夫を失った場合。

 

このケースでは、女性は望まずして多大な苦労をすることになるだろう。

 

夫婦円満、二人の子宝にも恵まれ、順風満帆な生活を送れると思った矢先の出来事。

 

どうして自分はこうも不幸なんだろう。愛する夫を亡くし、稼ぎが無くなったため自分は働かなければならず、さらに子供二人の世話までしなければならない。

 

街を行く人々の楽しそうな顔。いかにも幸せな日々を過ごしていますよ、という雰囲気が言葉の節々から感じられる。

 

どうして自分だけこんなに苦労しなければならないのか。不幸を一身に背負い込まなければならないのか…

 

こう考えるのも無理はないだろう。しかし、上を見ていてはキリが無いし、ますます自分を貶めることになりかねない。

 

そんな時は、下を見よう。自分より少し下の人たちを見てみよう。

 

もちろん、下を見ることは本来はあまり良いことではない。自身の成長が妨げられるからだ。上を見ることで人は頑張れる。

 

しかし、上を見ることが重荷になることもある。他の人も頑張っているんだから頑張れ、と言われても無理なこともある。

 

そんな時は、いっそ自分より下の人を見るようにしよう。

 

極端な例を出すと、紛争地域の子供たち。満足な食事にありつけないどころか、戦争に駆り出されたりする。

 

これは極端な例なのであれだが、本当に困っていること、辛いことがある場合は、自分より少し下を見ることで安心感を得ることも大切である。

 

もちろんこれは、こういった人たちに限った話であり、なんの問題もない、満足な生活を送れている人たちには当てはまらない。基本的には下を見ることは良くないことだ。

 

だからといって、頑張り過ぎてはいけない。

 

時には下を見ることも大切である。