コンクリートジャングル大阪と祖父の思い出

僕の生まれの地でもある大阪には、祖父母が住んでいた。大阪のなかでも都会に近い方で、年末年始や夏休みなどは親戚が集まる場所になっていた。

 

都会に近いとはいえども、祖父母の家自体は近くに田んぼがあるような所で、都会の良さと田舎の良さの2つを併せ持った所で、僕は好きだった。

 

夏休みに行けば、昼は外で水遊びをしたり虫を捕まえたりしたし、夜はバーベキューをしたり花火をしたりした。年末年始に行けば、近くの河川敷で凧揚げをしたり、こたつに集まってみんなでトランプとかパーティーゲームをしたりした。

 

どれも田舎らしい楽しい思い出だったけれど、僕の中で一番印象に残っているのは、あの都会ならではのコンクリートジャングルだ。

 

 

僕の実家がどちらかといえば田舎なところだったので、大阪は僕にとって大都会だった。親戚のおじさんたちに連れられて、初めて都会のビル群を見たときは幼心に衝撃だった。今まではテレビでしか見たことのなかった世界が目の前に広がっていた。

 

ビルを下から見上げればその大きさに圧倒され、上から地上を見下ろせば、その高さに足がすくんだ。さらにビルだけでなく人もたくさんいて、ただただ圧倒されるばかりだった。

 

 

そんなコンクリートジャングルでは、食事をしたり買い物をしたり色んなところを見て回ったりしたけれど、一番思い出に残っているのはヨドバシカメラだろうか。

 

年頃の少年らしくゲームが好きだった僕は、大阪に行くたびにこのヨドバシカメラに行くのを楽しみにしていた。実家の方にはあまり大きなデパートのような施設はなく、もちろんゲームを多く扱っているような店も少なかった。なので、ヨドバシカメラのゲームコーナーは僕にとって魅力にあふれた場所だった。さらに、大阪に来れば親戚からお年玉とかお小遣いをもらえたので、そのお金でゲームを買うのを楽しみにしていた。  

 

また、ヨドバシカメラはゲームだけでなく色んな店があり、そんな中を迷路のように自分がどこにいるかも分からず歩き回っているのが、ただそれだけで楽しかった。

 

 

そんな大阪での思い出を話す上で欠かせないことが1つある。それは、祖父との思い出である。

 

はっきり言って、僕は祖父のことがあまり好きではなかった。祖母は優しくて、料理も美味しくて、笑顔も素敵な素晴らしい人だった。しかし、祖父の方は優しくないなんてことはないものの、少し我が強いというか、近づき難い感じがあった。

 

もちろん、孫である僕に対しては優しくて、祖父母の家に行くたびに色んな物を見せてくれたり、買ってくれたり、良いお店に食べに連れて行ってくれたりした。母から聞いた話によると僕が小さかった頃は、少し離れたところに連れて行ってくれたこともあったようだった。

 

それでも僕は祖父のことが好きになれなかった。上辺だけは取り繕って、喜んでみたり笑ってみたりしたし、実際にその瞬間は嬉しかったけれど、やはり祖父自身のこととなると話は別だった。

 

今思えば、なぜそこまで嫌う必要があったのかは分からない。優しくて大好きだった祖母への態度が悪かったからなのか、出かけた時に周りの空気が読めない行動をよくしていたからなのか、それとも単純に仕草とかが気に入らなかったのか。

 

しかし、今となっては確かめようがない。僕の祖父は数年前にこの世を去ってしまったのだから。

 

 

前兆がなかった訳ではなかった。亡くなるだいぶ前から体調が悪い日が多く、僕たち家族が遊びに行っても部屋で寝たきり、ということも少なくなかった。さらに、入院することも次第に多くなり、詳しくは聞かされなかったものの先が長くないことはなんとなく感じられた。

 

しかし、祖父の詳しい病状なんかはまだまだ子供の僕なんかには分かるはずもなく、学生生活も忙しく、そもそも祖父のことは好きではなかったというのもあり、あまり気にすることはなく毎日を過ごしていた。

 

 

そして、その日は突然やってきた。当時すでに親元を離れていた僕のもとに、母から電話がかかってきた。内容は簡単で、祖父が亡くなったからこっちに戻って来い、というものだった。ちょうど次の日が休みのタイミングだったので、最低限の用事だけ済ませて急いで大阪に向かった。

 

着いた時にはすでに葬式は終わっていたため、そのまま祖父母の家に向かった。家に着くと知らない人がいたり色んな物が積まれたりしていて、これが葬式後の雰囲気なんだな、と思いながら祖父の祭壇に向かった。

 

そこには笑顔の祖父の写真が飾られていた。なぜかは分からないけれど、あまり好きではなかった祖父。たくさん美味しいものを食べさせてくれたり、僕の知らない色んな所に連れて行ってくれたりした祖父。

 

写真を見ながら色々考えていると、母がやってきた。そこで、僕にとっては2人いる祖父のうちの1人だったけれど、母にとっては生みの親だということを思い出した。

 

自分の親が亡くなったのだから当然悲しかったはずだ。僕の知らない間も付き添ったりしていたはずだし、色んな複雑な思いがあったに違いない。しかし、母は淡々としており、少し僕に話かけるとまだすることがあると言って、すぐに行ってしまった。

 

それからしばらくの間、祖父と向き合っていたものの、特に感情は生まれなかった。身近な人が亡くなるという経験は初めてではなく、その時もただ淡々とことを運ぶだけだった気がする。それは、冷たいからとかではなく、どちらかと言えば現実を受け入れられないというか、どうしたらいいのか分からない感じだった。

 

 

祖父母の家で一晩を過ごした後、僕はすぐに大阪を離れた。何をしたらいいのか分からず、親に聞いても大体のことは終わったからもう帰ってもいいよ、と言われたので次の日から予定のあった僕は帰ることにしたのだ。

 

帰る道中、僕は祖父のことを考えた。もう少し色々してあげられたのではないか。嫌だ嫌だと思いすぎ、祖父の思いに気づいてあげられなかったのではないか。

 

親孝行は生きている間にしか出来ないとよく言われるけれど、まさしくそれだった。実はあまり好きではなかったけれど、今は改心して、祖父の本当の優しさにも気付いて、だから何もできなくて悔やんでいる、と言ってももう遅いのだ。

 

親元を離れて少しずつ成長していると思っていたけれど、まだまだ未熟な子供だった。頑固で自分の考えに固執していた頃に比べると、成長の兆しは見られなくはないけれど、それでも、まだまだだ。

 

 

しかし、いつまでも悔やんでばかりはいられない。祖父も天国で僕のことを、僕が少しずつ成長していく様を見守ってくれているに違いない。もしかしたら、お前はまだまだだな、と思われているかもしれないけれど、それでも僕は前へ進んでいかなければならない。

 

 

僕は大阪に行くたびに、巨大なビル群を見上げながら思い出す。冷たいけれど温かみに満ちた、決して忘れることのできない思い出を。