「手帳」を上手く使いこなすのは僕には少々難しかった

「手帳」には、単純なその言葉以上の魅力があるように思う。少なくとも僕は、「手帳」に魅力を感じていた。

 

なぜ「手帳」がそんなに魅力的なのか。それは、手帳を使っている人が大人びて見えたから。何か重大な秘密を抱えているように見えたから。理由は色々あるが、とにかく僕にとって「手帳」は魅力的なモノだった。

 

 

初めて「手帳」を手に取ったのは中学生の頃。小学校を卒業し、少し自分が大人に近づいたと勘違いしていたあの頃。僕は初めて手帳を購入した。

 

最初の手帳は500円くらいのものだった気がする。学校へ行く途中にある本屋で購入した。人生初めての手帳ということもあり、どの手帳が良いかを数十分かけて吟味したような記憶がある。

 

こうして手に入れた手帳だが、僕はものの1週間ほどでその存在を忘れてしまった。もっと言えば、買ったその日のうちにだいぶ興味を削がれていた。なぜなら、手帳に書くことが特段なかったからである。当時中学生だった僕は、学校に行く以外の予定は、たまに友達と遊ぶくらいのもので、ほとんどなかった。そう、手帳が手帳としての役割を果たせなかったのだ。

 

こうして人生初めての手帳は、一瞬にしてお役御免となってしまった。しかし、僕の「手帳」への憧れはこんなことでは失われなかった。

 

 

再び僕が手帳を手に取ったのは高校3年生の時。なぜこのタイミングだったのか。それは、受験生だったからである。受験生ならなおさら予定がなさそうだし、こいつはバカなのか?と思われかねないが、そんなことはない。ちゃんとした利用方法があった。

 

それは、勉強の予定を手帳に書き込む、というものだった。真面目な受験生だった僕は、日々の勉強を効率化するために手帳を活用することを思いついたのだ。この日は英単語をこれだけ覚える、この日は数学の問題集をこれだけ解く、といった風に手帳はどんどん予定で埋め尽くされていった。

 

きっと今回は上手くいく。この世の誰もがそう思ったに違いないが、そうはならなかった。なぜか。それは、僕が予定通り勉強を進めることができなかったから、である。これはおそらく性格的な問題で、別に必ず予定通りにしなければならないことはないのだが、僕はそれが許せなかった。少しずつずれていく予定に、身体がムズムズした。結局、2回目の手帳も1週間ほどで使わなくなってしまった。

 

ここで僕は気づいた。自分に「手帳」は向いていない、ということに。そんなに予定のある方ではないし、かといって別のことに使おうとしても上手くいかない。あんなに魅力を感じていた「手帳」は、残念ながら僕には使いこなせなかった。

 

 

そして現在。何も予定がない、なんてことは流石にないので今は手帳を使っている…と言いたいところだが、今でも手帳は使っていない。手帳代わりにスマホに入っているメモ帳やカレンダーを使っている。

 

スマホはいつでも手元にあるし、ちょっとした予定でもメモしておけるし、大切な用事なんかは通知の設定なんかもできるし、紙の手帳にはない便利さがある。スマホの普及により、手帳を持たなくなったという人は、僕以外にもたくさんいるのでないだろうか。

 

しかし、僕はこの文章を書いていて思った。全てのことをスマホに集約しすぎているのではないか。もしスマホがなくなったら、秘密の情報や大切な予定が分からなくなってしまうのではないか、と。

 

そうすると、やはりアナログな「手帳」も必要かもしれない。データではなく、紙の触感を大切にしたい。そう思ったけれど、今は少々タイミングが悪い。僕が「手帳」を再び使うのはまたいつか……

 

 

 

最後に余談だが、「手帳」という文字を書きすぎたせいで、この「手帳」という漢字がゲシュタルト崩壊を起こしてしまったことをここに報告しておきたい。

 

今週のお題「わたしの手帳術」